2.自らを立てること



 自らを知ったとき、自分のために(価値となるものをむさぼるようにして)生きるのではなく、自分を他人のために、さらには、この世界のため生かすこと(他にたいしてひらき、むさぼりの欲を捨てる)、この視点において自らの命を「どのように、他のために、世界のために、役立てていくか」を考えることができるようになります。これが、起点として自らを立てる上で、最も重要なこと = 鍵 となります。

その鍵は、どんな扉を開くのですか?
この鍵は、「自分から、自分に向かう、尊敬のきもち」によってつくりあげられるものであり、この鍵でひらかれた扉の先に続くのが、健やかに生命が育まれ、真の幸福や愛情がもたらされる人生です。しかし、この扉が開かれず(自分自身に対して尊敬のきもちがもてず)、復讐心からくる “むさぼりの欲” に命が支配されつづけると、起点としての自己を立てることが出来ません。


むさぼりの欲について、もう少し詳しく教えてください。
“むさぼりの欲” というのは、命の根っこに負った情念の刻印、すなわち、自己の本質への否定が繰り返されたことによって、その自己価値を感じとれなくなり飢えている状態にある命が、あるいは、自己価値を奪われたと感じ、復讐心に燃えている状態にある命が、その状態をなんとかするために、「自分の価値を証明してやる!(自分のお腹を満たしてやる!)」という目的に向かって走る際に、ひとつの命に自ずと伴う欲のことです。

この “むさぼりの欲” に命が突き動かされているというときに、ひとつの命は、自分では意識することこそありませんが、そのようにして生きている自分自身を、軽蔑します。

これはたとえば、「何かを自分のためにむさぼることによって生きている誰か」を見たときに、「軽蔑」「嫌悪」「批判」という強烈なマイナスのきもちが、心の中にわき上がってくることを思い浮かべてみれば、わかりやすいのではないかと思います。この強烈な負の感情を、自分が、(無意識のうちにも)自分自身にたいして抱きつづける、というのが、“むさぼりの欲” に取り憑かれ、それに突き動かされている「自分」というひとつの命の状態です。


それがつづくと、どうなるのですか?
自分自身に向かう強烈な負の感情は、自分というひとつの命を、あっけなく、なぎ倒します。これはつまり、自己が、起点として「立たなく」「立てなく」なってしまうということです。これを「立てる」「立てなおす」ためには、自らの命の在りかたと生きかたを見つめ直し、「軽蔑」「嫌悪」「批判」ではなく、その対極にある “尊敬” を自分から勝ちとれるような、命の在りかた、生きかたをするという決断をすること、これしかありません。

それは本質的には、「復讐をやめ、むさぼりの欲を捨てる」ということであり、この意志をはっきりと自分自身に示すことにより、そして、それを実行することにより、自らの命をなぎ倒す負の感情が自分自身に向かわないようになります。


自らの尊敬を勝ちとる、ということについて、詳しく教えてください。
自ら勝ちとるべき尊敬とは決して、人からの評価や世間の評判という表面的なもので示されるわけではありません。たとえば、社会的に認められるようなことをする、とか、偉業を成し遂げる、ボランティアをする、というような善い行いは、たしかに、尊敬に値するものですが、命の教育において必要な尊敬は、自らの命の根っこが負った “情念の刻印”(復讐心やむさぼりの欲の原因となるもの)にたいして、「立ち向かう」という姿勢によってのみ、勝ちとることができるものです。

“情念の刻印” は、人生に様々な問題を引き起こしますが、同じような問題を抱えて苦しんでいる人たちは、自分の他にもいるのかもしれません。すべての命はつながっていると考えるならば、ひとつの命の問題は、すべての命の問題でもあります。自分というひとつの命の問題をなんとかしようとすることは、すべての命の問題をなんとかしようとすることでもあるのです。

この点に着目し、自分が命のつながりの中で負った “マイナス” と対等の “プラス” を与えて立てる(±0)こと、それを、自らの命の在りかたと生きかたをもって実現させること、そして、そのプラスが、自分だけではなく、この社会、この世界のためになっていく、という視野をもつこと ―― このようにして、自らの命の根っこに、その情念の刻印に “立ち向かう”、という姿勢こそ「自分から、自分に向かう、尊敬のきもち」を真に勝ちとることのできる、唯一のものです。

つながりの中を生かされる、「ひとつの命」という意識を持って、命の根っこに刻まれたものに立ち向かう、その自分の姿を自分自身が見るときに、自分は、自分のことを尊敬せずにはいられません。

命の根っこに刻まれたものは、自分の意志とは関係のないところで受け継がれたものであり、それは、わたしたちの命が、つながりの中において存在するということの証でもあります。そのために、情念の刻印をもたない命というものはありません。しかし、それにたいして正しい働きかけをしなければ、それは復讐心という低いレベルにひとつの命をつなぎとめ、その命を “むさぼりの欲” によって支配しはじめます。そしてそれは、似通ったレベルのまま、次の命へと受け継がれてしまうのです。

わたしたちのすべきことは、自分の命の根に刻まれたものに真摯に向き合い、それにたいして正しい働きかけする、ということであり、そのようにして、命のレベルを高め上げ、次の世代にできるだけ健やかな、幸福な命をつないでいくということです。

そのために、自分の命の在りかたと生きかたを、自らの意志に基づいてきめること、これが、“命の教育” における、最も重要なポイントになります。

1.自らを知ること
3.自らを律すること